小学四年まで四年生までは子供と時折大切な話をした。三四年生はやり手のY先生だったから、賛否両論のその先生にあって子供は子供なりに感じるものがあったのだろう。私はY先生と他の親より多く接していて、確かに先生らしい先生ではあったけれども、何もいわなくても、どういったらいいのか分からないまま、子供があまりこの先生を好きでないことを感じた。それと同じように、先生も私に多くいろんなことを喋りながらも、私のことがどうも苦手らしいと感じた。だが、なんにせよ、この三四年に子供はおおいに考えたらしかった。五年生になってはもうほとんど何も聞かなくなった。 そして私が、周囲に聞けば実にばかばかしいことを沢山したのも小四までだったから、考えてみれば、人間はもう十歳で基軸は出来てしまうのかもしれない。あとはちょっとしたこと。 そうなのかもしれない。 「お母さん、僕はほかの子と違うねん」 学校から帰ってきて椅子に坐ってうつむいて言った日があった。 「おお、なんと素晴らしい!」私は芝居がかったように言った。 「僕はみんなと一緒じゃないねん」 「おお、そうだよ、顔も体も考えることも。なんという素晴らしい!お母さんなんか、お前の年の頃、誰かに似てるっていわれようもんなら烈火のごとく怒ってね、誰にも似ててたまるか!って言ったもんや」 「?」 「同じ服着ててみ。そんで同じような心の子は似てくるから、もしスタイルも似ててみ、お母さん運動会見ててもおまえがどこにおるか絶対わかれへんわ。 そやけどあんたは靴下のはき方が綺麗やし、歩き方も他の子と違うし、目つきなんか全然違うし、心も違うし。そやからお母さんは遠くからでもすぐお前が分かる。あ、うちの子や。綺麗な足元やって、おまえは背がちっこいから棒倒しの時も頭が見えへんかった。そやけどお母さんは足を捜したんや。そしたら綺麗な靴下の履き方の赤い靴の子がおってな、ほんま、嬉しかったわ。お母さんはおまえが丁寧なことやら、何かの前でじっと考えるところやら、ものすごいいいと思う。お前がほかの子と違うところをいっぱい持っててくれて、ほんま嬉しいと思うてる。おまえはみんなと顔も姿も考えることも同じほうがええか?」 「いや・・・お母さん、人間はみんな一人一人違うねん」 「そうや~、同じところもあるけど、違うところもあるんや。誰一人全部同じのはおれへん、そやろ?そやから皆のことも判別できるんや。人と違ういうことはめちゃめちゃすごいことやと思えへんか?お母さんなんか誰かに似てる言われたこともあらへんで、めっちゃすごいやろ?」 子供はにこにこ笑った。 ジャンル別一覧
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